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アルビレックス新潟と 飼い猫と アイカタと。
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今日、気がついたらウチのウラに当たる庭スペースにある、
アイカタ手作りの花壇に植えたチューリップの花が咲いていました。
ついこの間まで、固いみどりいろだったつぼみ。
去年の10月の末に球根をたくさん植えて、
2月が暖かく、緑の葉が出てきてびっくりしたけれど。
花の色は、オレンジとピンクの中間、あわい色。

冬の間、土の中で待ち続け 時期を感じて、ひとりでに咲く。
誰かが見ていても、いなくても。

昨日の夕方 届いたモバアルメール。
ケータイが電池切れしそうだったので、充電しようと思い。
電源を切ろうとして、気がついた。


【松尾直人選手加入のお知らせ】

当クラブでは、昨シーズンまでFC東京に所属しておりました
DF松尾直人選手(27)の加入が決定いたしましたので、お知らせいたします。

目にした時、 最初に思ったことには。
「今日、なんにちだったっけ。」


2004年。 6月の終わりの中断期間に、大好きだった選手が、ひっそりと退団した。
DFの、アンデルソン。背の高い、手足の長い、キモチの強い選手だった。
ケガらしい、といううわさ。
「チームの事情は、わかっている。
このチームは、まだまだ上を狙えるチーム。健闘を祈っている。」
残したコメントに泣いた。
この時、Jリーグは2ステージ制を戦っていて。
後半戦に間にあうように、チームを残留させるべくやって来たのが
元神戸にいたFWオゼアスと、それから、この松尾直人さんでした。






J1昇格元年。
水害に地震。なかなかホームで勝てないチーム。
象徴的なことの多かったこの年、松尾さんはDFながら攻撃的なプレイで
当たりにも強く、目にも止まらぬ早さで、ヘディング・ゴールを決めて見せた。
シーズン終了後。彼はレンタル元の神戸へ戻ります。
「もしまた機会があったら、是非ニイガタでプレイしたい。」というメッセージを残し。

2005年。最初こそ試合に出ていましたが。
なんか1回ポカをして。
夏場、練習場のグラウンドを1人黙々と走りこむ姿が、記事になる。
誰も、見ていてくれない。ケガでは、ないらしい。
当時まだウチのコだった、幸治郎とだぶって、切なくなったのを覚えています。
使わないのなら、なぜ戻したのか。

次の年、FC東京へ移籍。
半年とはいえウチにいたコなので、気にはなっていました。
ケガをしたらしい。練習場にも姿がない。ホントに実在するのか?
するよ。 だって、確かにいたもの。
12月半ば、FC東京のオフィシャルに、『松尾直人退団のお知らせ』がひっそりと載る。
ニイガタにいた時の活躍を思い、かなしくなった。
その年の終わり頃、DFのいい選手がニイガタにくるらしい。というオハナシを聞く。
選手のナマエは、マツオナオト。・・ホント?
やがて、セイローで走ってるトコ見たよ。という声も聞こえ始める。

2007年 1月に、前から行きたかったお好み焼きのお店にいきました。
(有名なお店でご存知でしょうが、名前は書かないでおきます。)
「今年はもっとアウェイにも行きたいよね。」予定表を手に話すワタクシたち。
お店のご主人から、松尾さんが去年からニイガタに来ていて、
リハビリをしながら復帰を目指していることなどを聞かせていただくことに。
「素直でいい子なんだよ。」 松尾さんについて話をするとき、ご主人は必ずそう言って、
3年前にたった半年いた、言ってみればお客さんの松尾さんのことを
親身になって心配し、応援している様子が伝わってきました。
その後、松尾さんの、ニイガタというチームと、土地に対する愛着みたいなお話を
アルビサポさんのブログで知ることになるのですが。
それ以来ワタクシは、松尾さんご本人というよりは、ご主人の気持ちにシンクロして
ココロのどこかに留め置くようになるのです。

2月の初め。平日のお休みのある日。
こちらの奥様と、優雅におランチを決め込んだワタクシ。
行こうと思っていたお店が、まさの臨時休業。
ヘコむワタクシに、ポジティブな奥様。「あら、いいわよう。戻りまショ♪」
「う ん。」 歩きながら、たしかランチもやっていたことを思い出す。
「ねえねえ。お好み焼きなんて、いかが?」

2回目の来店のワタクシをご主人は覚えていてくださって、
ケガはもう大丈夫と、太鼓判を押されたこと、
やっとボールを蹴り始めたことなどを話してくださり、さらに 「この後、時間ある?」
「?ええ、まあ。」とアイマイに答えるワタクシたちに、
「これからココに来るから。カオ見ていきなよ。」
えええええ(汗)。 イヤ、でも。そんな。。 ビビりが入るのへ、
「声、かけてあげて。」
そうか。 そうだよね。 それなら。 とお言葉に甘えることに。
お待ちしている間、盛り上がるワタクシたち。
背番号、いくつだったっけ。 あのヘディング、すごかったよねえ。。。

玄関のドアが開く。 
そして、マツオナオト本人が立っていた。
フードのついたブルゾン。ブラックデニムの、すらりと伸びたまっすぐな脚。
「 ほ ん も の だ ~ 。。。 」
お約束をかますワタクシたちを、楽しそうに見るご主人。
ボールを蹴ることが、今ほんとうに楽しい。まるでナガタミツルのようなコメントを
にっこり笑いながら言う松尾さんを、なにか不思議なキモチで見ていました。

お店を後にして、盛り上がるワタクシたち。
自宅に戻って、2004年のDVD鑑賞に大騒ぎ。
ゴルシーンを何度もリプレイ。インタビューを繰り返し見る。33番だったんだね。
もう、すぐにも加入のお知らせが聞ける気がして。
発表されたら、『訳あって松尾ギャル』キャンペーンを張って、お祝いよっっ♪
と、浮かれたこともあったのですが。(あの時は、楽しかったわねえ。。)

激励会の後。
お店へ、静岡キャンプへの帯同が決まったことを報せにきた松尾さんと、
ご主人がうれしそうに親指を立て、がっちりと握手する感動的な場面に遭遇します。
あの時、松尾さんが帰ってから カウンター越しに置かれたイスに腰掛けて
何度も指で目をぬぐっていた姿を忘れることができません。
PSM草津戦の後。
「やっぱり高さのあるDFって、いいわあ。」と、見てきたままの感想を述べるワタクシに、
「そうだろう? 安心できるよなあ。キレイだし。」とニコニコして答える。
もう、少し。でもいつだろう。松尾さんは、ご主人はいつまで待つのだろう。

それから、きっかり2ケ月。
ようやく、オフィシャルで発表されました。
ひと足先にスポニチに記事が掲載されたガンバ戦の夜。
「おめでとうございます。」を言いにお邪魔したワタクシたちに
「もう、疲れちゃったよ。」 ご主人は、穏やかな表情でつぶやいた。

もう一度、ニイガタで。と思い続けて頑張った松尾さんにとって、
ご主人の存在は、どんなにか心強かっただろう。
ようやく立った、スタートライン。
新しい番号は、28番。
本当は、33番にしたかった。と伺って、また切なくなる。 そこから、スタートしたんだったね。
けれど、時間は動いているんだよ。あの頃とは、状況が違う。
みんながみんなしのぎを削り、自分を賭けて競争する。
そのことは、もちろん松尾さん本人がいちばんよくわかっているはずでしょうから。
だからこそ。
新しいユニフォームを着た松尾さんが、ビッグスワンに立つ日を
楽しみに待っていますよ。

改めまして、ようこそ! ニイガタへ。。

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コメント
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つユンケル
更新お疲れ様でございました。
『苦労人』の枕詞の元、頑張って頂きたい。今回の出来事は絶対にプラスになると信じております。
余談
サードプラネットのトークショーに行った私は勝ち組\(^o^)/
千代反田光子 URL 2007/04/20(Fri)07:51 編集
謝々。ユンケル。。
>充子サマ。日付が変わろうとする時間にゼンブ消えちまったのを三田ときには、
思わず世をはかなみましたん。(注・ハナカミではない。)
松尾ギャルを名乗るに当たって、どちらが早い番号になるのかモメた事さえ今は昔。
ワタクシたち、奥ゆかしいから。ほっほっほ。

いい事もわるい事も、ながくは続かないから。松尾さんには、いい事たくさんやって来ますように。
puucha 2007/04/20(Fri)12:51 編集
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