忍者ブログ
アルビレックス新潟と 飼い猫と アイカタと。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

あたらしいねこでしか癒せない。

失恋から立ち直るには、新しい恋をするしかない。
という説も然り。(たぶん)


あたらしい猫を迎えることになりました。

猫プーちゃんが亡くなってから ひと月とすこし。
この時間を 長いととらえるか短いと思うかは決め難い。

プーちゃんの不在は 今までそばにいてくれたことを
当たり前に思っていた自分と 
それがどんなに幸せだったかを 
不在というカタチで思い知らされる日々なので
いないことに慣れないのと
いなくなった端から、ねこ欠乏症を自覚することになったのでした。

欠乏症は日を追って重症に。
プーちゃんロスを抱えながら、ともだちが知らせてくれる
“◇◇で子猫の里親さがしてたみたい” とか
“カイシャ周りで(猫の)出産フィーバー(フィーバーて)になってます” とか
のねこ情報に反応しつつ 能動的に探し始めたすえ
この5日に あたらしい子猫がやってくることに。

プーちゃんを恋しく思う気持ちと
あたらしい子猫のための準備にむかう高揚した気持ちが
キレイに同居したまま6月が終わりました。

新しいトイレ、新しい寝床。新しいキャリーケース。
水を飲むためのボウルにおもちゃに爪とぎ。
子猫だから気をつけないといけない事もある。
忘れていることもいっぱいある気がして
“はじめての猫飼い方・育て方” という本も買いました。
あたらしいコのための道具が お迎えが決まって急速にふえていく。

『プーちゃん、自分の居場所がないって化けて出ないかな。』 とアイカタ。
『出てきても全然いいけど。』

『出ないよ。』 とわたし。
だって、こんなに憶えてるもん。
こんなに忘れてない。
もうすぐあたらしいコがやってきて
このうちに慣れてもらうように 
ここでしあわせに暮らしていってもらうためにと
心をくだく日がやってくるけれど
ここで生きていたプーちゃんは、ずっとなくならない。

朝 起きてリビングに下りてきたとき
仕事に出かけて行くとき
いつもプーちゃんに声をかける。
声をかけるコが、ふえるだけだよ。


ねこ情報を届けてくれたみなさま
しんどかった時に 声をかけてくれたみなさま
ひとつひとつがうれしくて ありがたかったです。
ありがとうございました^-^

  *ねこプーちゃんが寝床にしていたベッド。
         ひとまわり小さいサイズのものを新しく買いました。



ところで 『猫は化ける』 と思いますか?






PR
 *綺麗な青い紫陽花。ねこプーちゃんにいただきました。
        ありがとうございます^-^

日本のあちこちで大雨が降り続いておりますが
新潟県の梅雨入りは まだのようです。

気がつけば6月も半分を過ぎて、
今年のプーちゃんは6月を知らないのだなと思う。

ペットシーツや砂や缶づめが買い物リストからなくなって
洗濯物が急に増えたりすることもなくなった。

粗相をしてしまうことが多くなったプーちゃんが
寝床やソファでやらかしてもいいように 新しい布も買ったのに。
粗相どんとこい。と満を持して夏を迎えようとしていたのに
アンタがいなくなるなんて。

トイレ用にもらっていたレジ袋を
三角にたたんでストックしておく習慣は続いていて
使わないからたまる一方です。


毎日繰り返す生活のサイクルから 
プーちゃんのために割く時間は切り取られて
そのことには慣れてきたけれど
毎日の生活の中にいたプーちゃんがいない喪失感は
降りやまない雪のようにしんしんと積もって
柔らかで温かくて まあるい身体からもらっていた充足感を
懐かしく思い出すのです。


先日 実家に行ったとき
プーちゃんが亡くなったことを母に報告しました。
ねこというイキモノと 相容れない立ち位置にいる母は
“長かったね。” とだけ言った。
長かったよ。一緒にいた長さのぶんだけさびしいよ。
長さのぶんだけ楽しかったし 
たくさんたくさんしあわせだったよ。
プーちゃんと暮らさなかったら、
ねこが生活のなかにいるしあわせを知らなかった。

出会いは運とタイミング。
でも、ただ待っているだけの者には訪れないのよね。



 






朝 病院へ連れて行って、仕事の帰りに迎えに行く。
木曜日、金曜日と続けました。
皮下注射は5-6分で終わるから、家にすぐに帰れるけれど
日中仕事で留守にするので、とても置いては出られない。
点滴をしてもらいながら病院で看てもらうのは
とてもありがたかったです。
何かあったらすぐ連絡しますと言われていたので
お尻のポケットに入れたケータイがビービーいう度にどきどきしました。

“昨日はもうダメなんじゃないかと思うくらいだったけど、
今日は『頑張るぞ!って顔してますね。” と先生。
夜中に歩いてオシッコしたことと、水も飲んだことを伝えて
“腎不全が進んでここまでなったのもわかるんですが、
寿命という考え方もあって 高齢だから、仕方ないと思ったり、
辛いのなら何とかしたい。と言うのを行ったり来たりするんです。”
と、思っている事を話すともう涙が止まらなくなりました。
少しでも、苦しまないように。
今出来るたったひとつの事なのだと、先生に言われているようでした。
ケージの中をみると、横になっていたプーちゃんが、伏せの姿勢をしていました。
“あ。起きたねえ。”
私たちの会話を聞いているかのようでした。

覚悟はある。
飼った時から。元気な時から。
いつかは先に逝くのだし、またそうでなければとても困る。
そういう気持はずっとあったけれど、
いまその時が来ようとしているんだと、
ようやく向き合う覚悟が出来ようとしていました。

土曜日。
迎えに行く前に準備する。
ダンボール。保冷剤。残りがあやしくなっていたガムテ。
火葬をしてくれるところをネットで調べて。
あわてたりしないように。プーちゃんが不安にならないように。


週末を越えることは難しいと言われたプーちゃんは、
日曜の夜 広島から帰ったアイカタを迎え
月曜日、わたしたち2人共に見守られながら 静かに息を引き取りました。
病院の先生方のおかげで、穏やかな最期でした。

照明を落とした部屋で真夜中
寝ているシートを取り換えるとき
朝日がカーテンを透して差し込むなか 様子をみるとき
横になっているわき腹が 静かに上下するのを見るとほっとした
ゆるやかな往復は 波が引いたり寄せてきたりするのに似ていて
波とおなじで 永遠に続いたらいいのにと思いながら
すぐそばで眠った数日間は幸せな時間でした。

生まれて1ヶ月でウチに来て21年。
ずっと一緒にいられるもんだと思っていた。
ずっと生きて そばにいるんじゃないかと。
でも、やっぱり 終わっちゃうんだね。

いなくなって2週間が経とうとしていますが
夜中に目が覚めると寝室の猫ドアの開く小さなおとが
今にも聞こえるんじゃないかと無意識に耳を澄ましてしまうのです。


プーちゃん。
プーちゃん。 
一緒にいられて楽しかったよ。
辛い思いをさせてしまったこと
いちばんしんどかったあの時期を頑張り通せたこと
全部わすれないよ。

丈夫で大飯食らいできかん気が強くて 
お医者さんがダイキライだったプーちゃん。
最期の最期までかわいくてかわいくて、かわいかった。
ありがとう。

また いつかどこかで。

 *土曜日 点滴を終えて帰宅。伏せがしたいと起き直る。








猫プーちゃんを病院に預けて帰宅、晩ごはんの用意をしていると電話が鳴りました。

動物病院の先生からでした。
さっき診ていただいた若い先生ではなく、
巨大歯石を指でガッコンと取ってくれた先生の声でした。
『プーちゃんの状態がとても悪く、このまま亡くなってしまうかも知れません。』
と言われて、状況が飲み込めない。
“さっきの感じと違うじゃん”@アイカタ

今日(20日)は手術が長引いているから、みんなまだ残っているので
ぎりぎりまでここで点滴して、夜はおうちへ帰った方がいい。
と先生の声が聞こえます。
『明日は、わからないと言うことですか。』

いったん回復したとしても、ながくはない。
明日の朝が来たら、もう一度点滴しましょう。
今夜亡くなっても覚悟が出来ているということなら、このまま預かります。

一度電話を切って考える。
そんな。そんなに悪いのか。 なんで。
2人で考える。
“どうしたい?” どうしたいのか。


迎えに行きました。
日付が変わりそうな時間の病院は、違う場所のようでした。
以前、治療中に白衣のズボンにオシッコをかけた事のある先生が、
抱っこして連れてきてくれました。
“座ってられる?” いすの上へ下ろすと、ケージを用意する。
こちらの先生は、どの方もとても優しい。
“今日どうこうという事じゃないと思いますが
数値そのものと言うより、循環の状態がとても悪いんですね。”
おなかを触りながら 説明してくれました。
“オシッコが出来ているから、とりあえずは大丈夫”
“おやすみなさい。また明日。”

ニンゲンでも、点滴すると、ぼわんとするけれど(しませんか?)
点滴をしてもらってか プーちゃんはふわふわとしていました。
いつも寝床にしている座布団へ寝かせる。
おなかがちゃんと上下しています。
カーペットを覆うようにシートを敷きつめ(注:水爆弾防止)
リビングの照明をいちばん小さくして
掛け布団を持って来て寝る準備です。
早出シフトのアイカタは、3時半起きなのですでに就寝中。
目覚ましは置いてきたけど、起きられるよね。
頭を撫でる。一緒にいるよ。
目をこらしておなかを見る。
ゆっくりなペースで上下しているのが見える。
最初は寝床のすぐ近く、床の丸座布団の上に寝ていたけれど
身体が痛くなってきてソファに移動した。

小さな音に気づいて寝床を見ると、空っぽでした。
目を凝らすと、歩いていました。
小さな音の正体は、床に爪が当たる、ミチミチという音でした。
プーちゃんがゆっくりと歩いて行く。
しっかりとした足取りで。
途中で止まると、けっこうな量のオシッコをする(*_*)
そのまま先へ歩いて、ごはんと水の置いてあるトレイへ向かっていくようでした。
オシッコの上にシートをかぶせてから、
“プーちゃん、おいで。”
水の入ったボウルを、鼻先へと差し出す。
“ほら。水だよ。水飲もう。”
すると、わずかですが自分で水を飲んだのです。
“もう少し。” また飲みました。
買ったばかりの、高カロリーペーストを指につけて
においを嗅がせてみましたが、これは駄目でした。
それからまた、しっかりとした足取りで、寝床へと戻っていくのを見て
床を掃除。

後ろ足の筋力が弱くなって、
前足は伏せが出来ても後ろは横座りになってしまっていたプーちゃん。
少しでもよくなるように、後ろ足のマッサージをしていましたが
この時の歩き方は、そんなことさえ忘れてしまうほど立派でした。

水木金と、仕事は午後からなので
このあと心おきなく二度寝が出来る。
二度目に起きてプーちゃんを見たとき、
おなかはやっぱり上下していました。
顔を覗き込んだら、穏やかに爆睡していて、ほっとしました。
お天気のよい朝でした。

 *点滴を終えて帰ってきました。




猫プーちゃんが 息を引き取りました。

2015年5月25日月曜日 16時29分。
会社が休みだったアイカタと
会社を休んだわたしに看取られて 
とぎれとぎれな呼吸のあと ためいきひとつ。
撫でていた手を止めて おなかの、上下していたあたりを見る。
動きませんでした。 少し待っても。

アイカタが抱き上げると、頭がゆらりと後ろにのけぞり
それが この身体からプーちゃんが抜けていった合図だと悟り
にわかに現実が背中からやってきて座り込んでいました。
プーちゃんを抱いたまま アイカタがおいおいと泣いていました。

 *亡くなる10日くらい前。後ろ足の筋力が目に見えて衰えてきました。



巨大歯石をガッコンと取ってからひと月くらい。
食べづらさが解消されて、3年前のあの時みたいに
目ざましいイキオイでごはんに突進すると思われた猫プーちゃんは、
こちらが期待したほどではなく。
1日にひと缶ずつ開けていたのは、ついこないだのようなのに
4ケースずつストックしていた缶づめは、なかなか減らないのでした。
そのうち 匂いだけ嗅いで、寝床に戻るようになりました。
それに、“水も飲めていないみたい。”@アイカタ
確かに、よく見ると音だけで、水の表面に舌が届いていないようでした。

19日火曜日。会社から帰って、代休で家にいたアイカタに様子を聞くと
“変わらない。” と言うので、20日の午前中にかかりつけの病院に行ってみました。

最近の様子を話し、“新しいごはんにしてみたらどうでしょうか。”と聞いてみる。
この時でも、私はまだのんきでした。
若い先生は話を聞くと、カルテを見ながら腎不全のことに触れ、
脱水症状が進むと、食欲も落ちることがあるので
一度連れて来るようにと言いました。
それから、一応という感じで、ペースト状の高カロリー食をひとつ出してくれました。
その日 帰宅すると先に帰っていたアイカタに話して
2人でプーちゃんを連れて病院へ。
血液検査の結果は、腎不全の影響で脱水症状が進んでいること、
本来なら身体の外へ排出されているはずの物質が、血液中に溜まっていることが判りました。
治療としては、点滴で身体の中に水分を補給してあげること。
点滴は時間がかかるので、ひと晩入院になるということでした。

先生の話は一応頭に入ったものの、腎臓以外の数値ー肝臓だとか、糖尿病だとか。
あと、腎臓が悪いと貧血の症状が出る事があるのだけど、
赤血球の数も問題ないと言われて、そういうイイコトばかりが残ってしまい
ウチのプーちゃんはなんて丈夫なんだろう。
21歳なのに、すごいね。
点滴で水分が足りて改善されたら、またごはん食べるようになるかもね。
などと能天気に、病院を後にしたのでした。
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [10
忍者ブログ [PR]