アルビレックス新潟と 飼い猫と アイカタと。
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1月、なかばすぎ。
もうひと月もすると
ねこプーちゃんの誕生日だな。
いくつになるんだろ。1994年に生まれたから、えーと16歳。
ニンゲンの年になおすと、およそ80歳。
最初に会ったときは、手のひらに乗っかる赤ちゃんだったのに。
80歳だって。
ウチの父親よりも年上になっちゃうね。
ねこに流れる時間は
自分のオヤよりも上に連れていくんだね。
まとまりもつかない想い。
それからほどなくして 父が亡くなりました。
大のねこ嫌いだったのに
会うたびに『プー、元気らか。』と聞いてきた。
1月21日のことでした。
元気でした。
年末、29日。 天皇杯の予定がなくなって、実家に行った時も。
毎年の決まりごとで、夕飯をごちそうになりに行った大みそかの夜も。
手術をした一昨年よりも
母はたくさんのごちそうをテーブルに並べ
私たちは途中で買ったお寿司を広げました。
『あんまり勧めると飲みにくいだろうから。』と
ノンアルコールのビールを自分のコップに注ぎ
アイカタには発泡酒を注ぎながら
『もしかすると、
オマエたち今年は来ないんじゃないかて言ってたんぞー。』
と繰り返し話して。
『うん。天皇杯に勝ってたら、
今頃はコクリツ行ってたからねー。』
負けちまったなあ。と笑った父。
みんなでたくさんごはんを食べて、
来年もよろしく。と挨拶した。
いつもどおり 元旦にアイカタの実家へ行き
たくさんの野菜をお土産にもらって寄った時も
変わりない父だったのに。
『熱があるんだわ。』
お正月が終わって少したった頃、
電話で母が言っていた。
病気をしてから
少し疲れたりすると熱を出すようになった父ですが
1日寝ていると翌日には下がっていたから
また そういうのかな。と思っていました。
でも冬だし。
風邪やインフルエンザだったら困るねえ。
『入院した。』
母から電話があったのは、19日の夜でした。
肺炎ぽい。ということでした。
肺炎。肺炎て、よくないんじゃない?
風邪から肺炎になって、体力が落ちて・・ってよく聞くよね。
母の話をまとめると
風邪が原因ではないようでした。
22日に転院して、再手術を受けるということでした。
遅くても26日、状態によっては23、24日。
いずれにしても、
もう一度手術をすることには間違いないようでした。
『来なくていいからね。』
どうせすぐに転院するんだから。ってお父さんが言ってるから。
『わかった。』
と言って電話を切ってから、どういうことか考えてみた。
あんなに元気だったのに。
またあの手術をしなきゃならないのか。
20日夜、母に聞いてみる。
肺炎て言ってたけどさ、おとうさんどうなん?
『それが全然フツーなんだよね。』
難儀そうにもしていないし、廊下も自分でしっかり歩くし。
4人部屋にいるから、あんまり話もしてないけど
手術をする病院へも、自分でタクシーに乗れるからって。
それじゃあ 22日会社終わったら行くわ。
そう言って電話を切りました。
『今 病院から電話があって
おとうさん容態が少し変わったんだって』
母から電話があったのが21日 朝08:00少しまえでした。
タクシー呼んでるんだけど、どうしよう。
母の言い方は切羽詰まっているわけでもなく、
どこかのんびりしていました。
『迎えにいくから。』と言ったのはいいけれど
シゴトが10:00からということもあって、全然準備もしてなくてww
道路は通勤渋滞。
おまけに天気が悪くていつもよりも道が混んでいました。
実家へ着くと、どうやら母はタクシーで先に行ったらしく
また病院へと道を戻ることになり。
強い風が吹きつけるみぞれ混じりのなか病院に着くと
父は 息を引き取ったあとでした。
母も、間に合いませんでした。
看護師さんは、はっきり言ってくれなくて
わたしは
『それって もう亡くなってるってことですか。』
と とても間抜けな質問をしてしまい
『はい。そうです。』という答えにも
どういう事なのか すぐにはわからなくて。
23日が友引だったので
24日に告別式をすることにして
お通夜まで1日たくさん父と過ごすことが出来ました。
普通なら
亡くなった翌日がお通夜になることが多いから
その日のうちにいろいろな人に連絡しなければならないはずですが
1日時間をもらったことは
特に母にはありがたかったと思います。
どなたに連絡をしたらよいか わたしには見当もつかないし
電話をかける母は、
“父が亡くなった”となかなか言えずに言い淀み
とても時間がかかってしまったからです。
決めておかなければいけないことは、待ってはくれません。
父といるとき気丈だった母が
さき先へと動くわたしたちに
ちょっといじけたりする場面もあって 切なくなったりもした。
手術をしてからは
好きなお酒をまったく飲まなくなった父に
アイカタは八海山を買ってきてコップに注ぐと
布団に寝かされている父の前、
ローソクやお線香やらが並んでいる間に置いた。
朝 05:30に起きて
お弁当を作って、朝はトーストにコーヒー。
アイカタが出かけたら洗濯機を回して 後片付け。
シゴトに出かけてシゴトから帰る。
帰り道にスーパーへ寄って買い物して。
週末はサッカー。
わたしたちの毎日は、そんなルーティーンワークを
継続することで成り立っていきます。
父が亡くなった21日から、告別式までの4日間
そんな日常の空間から 切り離されて過ごしていました。
そこに流れる時間は濃密で何もなく
淡々としているけれど 繰り返されるいつもの時間とは
まるで違うものでした。
父と母とわたしとアイカタ。
それから途中から泊ってくれた叔父。
お通夜の日の朝以外は食事がつかないため
わたしとアイカタは、みんなのごはんの心配ばかりしていました。
そこがどんなに普段通りではなくても
生きていればおなかが空くものです。
“明日また来るからね。”
タイトルは、父が亡くなる前の日に
病室を出る母が 父にかけた言葉です。
“おう。気をつけて帰れよ。” って言ってたばっかりなのに。
それ、わたしも聞いた事があるよ。
一昨年、父を見舞って帰る時。
退院してきてからは 実家によってから、ウチに帰る時。
“じゃねー。”
と言うわたしに、必ず父は返してくれました。
張りのある、父の声。
今も こんなに思い出せる。
“家族や娘や 仲良くしていた友達の顔も
誰だかわからなくなってしまったり
長いこと寝たきりになった揚句に死ぬのだけはイヤだな。”
風邪ひとつ引かなかった父が
病気になるずっとずっと前から言っていたことでしたが
まさに、望み通りでした。
やったね とーちゃん。
さすがだね。
そう思った時 ようやく涙が出てきた。
おとうさん。 アリガトウね。
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大変でしたね。
私の父は19歳の時、亡くなりました。
そのときの母がとってもか弱く見えたのが今でも思い出されます。
舅が亡くなったときは、兄嫁が「ご飯の心配」で大変そうでした。
実感するのは、これから、です、きっと。
お悔やみ申し上げます。
そのときの母がとってもか弱く見えたのが今でも思い出されます。
舅が亡くなったときは、兄嫁が「ご飯の心配」で大変そうでした。
実感するのは、これから、です、きっと。
お悔やみ申し上げます。
ありがとうございますm(__)m
めりのさん どうもです。
お葬式のあとは初七日。それから四十九日。
それだけじゃなしに、やることはたくさんある。
初めて知りました。
それも、あまりのんびりしていられないこともあって
今は それをこなすようにしている母です。
近くても一緒に住んではいないので
今までよりも気にかけていきたいと思います。
お葬式のあとは初七日。それから四十九日。
それだけじゃなしに、やることはたくさんある。
初めて知りました。
それも、あまりのんびりしていられないこともあって
今は それをこなすようにしている母です。
近くても一緒に住んではいないので
今までよりも気にかけていきたいと思います。
ありがとうございますm(__)m
みゆきさん どうもです。
>実感するのは、これから、です、きっと。
そうだと思う。
実感なんて、まだ全然。
『あったかくなったら、カメラ持って草花でも撮りに行こうかなー。』
と言っていたそうで、生きる気満々だった父です。
これから いろいろな感情ともつきあっていくのかも。
>実感するのは、これから、です、きっと。
そうだと思う。
実感なんて、まだ全然。
『あったかくなったら、カメラ持って草花でも撮りに行こうかなー。』
と言っていたそうで、生きる気満々だった父です。
これから いろいろな感情ともつきあっていくのかも。
お悔やみ申し上げます。
突然のことで本当に大変だったと思います。
今しばらくは忙しさに、悲しみも横においておくことが出来ても、
ふとした時にやってくる涙。
こんな時に隣で肩をたたいてあげる事が出来なくてごめんね。
お母様も、puuchaさんも早く元気になってください。
今しばらくは忙しさに、悲しみも横においておくことが出来ても、
ふとした時にやってくる涙。
こんな時に隣で肩をたたいてあげる事が出来なくてごめんね。
お母様も、puuchaさんも早く元気になってください。
お悔やみ申し上げます。
お父様 お悔やみ申し上げます。
一番大事な家族との別れは何より辛いですね
今はお母様を支えてpuuchaさんも一日も早く元気になってください
又puuchaさんのやさしい笑顔にお会いできるのを
待っております。
寒い日がまだ続きますのでお身体を大事にしてくださいね。
一番大事な家族との別れは何より辛いですね
今はお母様を支えてpuuchaさんも一日も早く元気になってください
又puuchaさんのやさしい笑顔にお会いできるのを
待っております。
寒い日がまだ続きますのでお身体を大事にしてくださいね。
ありがとうございますm(__)m
るまさん コンバンハ^‐^
告別式が終わるまでは、とりあえず泣くことも出来ない。という感じでした。
いまだにちょっと麻痺してるみたいです。
>隣で肩をたたいて
ありがとう!
アウェイ川崎戦で、ゲーフラ持ってだだ泣きしたへたれなワタシを
そうやって励ましてくれたこと、憶えています^‐^
文章にしてここに出せたという事は、
わたしの中で整理がついたという意味なのよ。
“曲がりなりにも”という注釈がつくけどね。。
告別式が終わるまでは、とりあえず泣くことも出来ない。という感じでした。
いまだにちょっと麻痺してるみたいです。
>隣で肩をたたいて
ありがとう!
アウェイ川崎戦で、ゲーフラ持ってだだ泣きしたへたれなワタシを
そうやって励ましてくれたこと、憶えています^‐^
文章にしてここに出せたという事は、
わたしの中で整理がついたという意味なのよ。
“曲がりなりにも”という注釈がつくけどね。。
ありがとうございますm(__)m
いりさん、コンバンハ(*^_^*)
お気づかい ありがとうございます。
なんだか申し訳ないような***
繰り返しになりますが、
どんなことであっても 自分なりに消化して
それでも書きたいと思ったことなら
ここに書くようにしています。
急なことであったけれども
落ち着いて話せるようになったので
というか、
父のことをちゃんと書きとめておきたくて
こういう形を取りました。
読んでいただいた方には
唐突だろうし びっくりさせてしまって申し訳なく思います。。
母のことが気がかりですが
それでも時間が助けになってくれると願って
あまり無理をしないで
リカバリーして行こうと思います。
お気づかい ありがとうございます。
なんだか申し訳ないような***
繰り返しになりますが、
どんなことであっても 自分なりに消化して
それでも書きたいと思ったことなら
ここに書くようにしています。
急なことであったけれども
落ち着いて話せるようになったので
というか、
父のことをちゃんと書きとめておきたくて
こういう形を取りました。
読んでいただいた方には
唐突だろうし びっくりさせてしまって申し訳なく思います。。
母のことが気がかりですが
それでも時間が助けになってくれると願って
あまり無理をしないで
リカバリーして行こうと思います。
お悔やみ申し上げます
お悔やみ申し上げます。
お葬式って、本当に大変ですよね。
お疲れ様でした。
悲しみを癒してくれるのは、
時の流れだけですが、
puuchaさんの心の中には、
いつも、元気なお父様がいますよ!
寂しい時には、心の中のお父様と、
話しをして見てください。
私も、時々、心の中の両親に話しかけてます。
アルビの試合も、心の中のお父様と一緒に
元気に応援していきましょう!
寒い日が続きますが、お忙しい中、
風邪など引かないように、
気をつけて、お過ごしください。
お葬式って、本当に大変ですよね。
お疲れ様でした。
悲しみを癒してくれるのは、
時の流れだけですが、
puuchaさんの心の中には、
いつも、元気なお父様がいますよ!
寂しい時には、心の中のお父様と、
話しをして見てください。
私も、時々、心の中の両親に話しかけてます。
アルビの試合も、心の中のお父様と一緒に
元気に応援していきましょう!
寒い日が続きますが、お忙しい中、
風邪など引かないように、
気をつけて、お過ごしください。
ありがとうございますm(__)m
おれんじ・ゆ~みんさん こんにちは(^-^)
お気遣いありがとうございます。
父は、アルビに対してあまりいい印象を持っていませんでした。
と言うのも、お客さん商売をしていたので ビッグスワンの近くに住む方たちが
試合のたびに無断で路上駐車をするサポーターのマナーの悪さをお店で話すのを聞いていたので、
そういう チームや選手とは直接関係ないところで、悪いイメージがついてしまっていたんですね。
そのくせ エジが移籍した事も、キショーが代表に選出された時も『どうなんだ?』と聞いてきたりして
いつも気にかけているようでした。
仕事も辞めた事だし、気候がよくなったらビッグスワンの選手がよく見えるところ、
階段をたくさん上がらなくていいところで観戦ご招待しようかな。そしたら、イメージもきっと変わるかも♪
と思っていたのですが、それも出来なくなってしまいました。
『いま、何位なんだ?』と聞いてきた父のためにも、今年も頑張って応援しようと思います。
お気遣いありがとうございます。
父は、アルビに対してあまりいい印象を持っていませんでした。
と言うのも、お客さん商売をしていたので ビッグスワンの近くに住む方たちが
試合のたびに無断で路上駐車をするサポーターのマナーの悪さをお店で話すのを聞いていたので、
そういう チームや選手とは直接関係ないところで、悪いイメージがついてしまっていたんですね。
そのくせ エジが移籍した事も、キショーが代表に選出された時も『どうなんだ?』と聞いてきたりして
いつも気にかけているようでした。
仕事も辞めた事だし、気候がよくなったらビッグスワンの選手がよく見えるところ、
階段をたくさん上がらなくていいところで観戦ご招待しようかな。そしたら、イメージもきっと変わるかも♪
と思っていたのですが、それも出来なくなってしまいました。
『いま、何位なんだ?』と聞いてきた父のためにも、今年も頑張って応援しようと思います。