忍者ブログ
アルビレックス新潟と 飼い猫と アイカタと。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  *ここ数日のよく晴れた空のようなブルーです。


誰だ最下位なんて言ってるのは。


すっかりご無沙汰いたしました(@_@。
テンプレートがまだ桜だったことに気づいたのがつい最近(汗
マイチーム頑張った。リーグ戦は7位で中断期間に突入。
画像は、6日に某市場より、
ウチの庭スペースに移籍してきました“ミヤマホタルカズラ”。
フィットするには、もう少し時間がかかりそう。
何でも最初から完璧にはいかないもの。
待つ時間も、楽しみのひとつ。

           bc19b2dd.jpg
  青い色の花が好きです。
  これは、アイカタが植えた青いちいさい花。
  名前は忘れたそうですが、
  今の時期にたくさん咲きます。
  植えてみたいのは、ブルースター。
  あの、フェルトのような質感の
  たよりないほよほよとした葉っぱと、
  その先の青い色が好きだわん。








メンバーが少し入れ替わって、予選突破を目指します。
他のチームの勝ったり負けたりは、どうにもならない事だけど
点を取って、目の前の相手に勝つことだけを考える。
水曜アウェイのナイトゲーム。
勝つことが出来るように。
瑞穂に行ってきます。



389fc696.jpg  おまけ。
  ウチを建てた時に植えてもらった小さい花。
  白いのと、時々ピンク。
  何もしないけれど、毎年決まって咲いてくれる。
  これも大好き。
  





  

PR

1月、なかばすぎ。
もうひと月もすると 
ねこプーちゃんの誕生日だな。

いくつになるんだろ。1994年に生まれたから、えーと16歳。
ニンゲンの年になおすと、およそ80歳。
最初に会ったときは、手のひらに乗っかる赤ちゃんだったのに。
80歳だって。
ウチの父親よりも年上になっちゃうね。
ねこに流れる時間は
自分のオヤよりも上に連れていくんだね。
まとまりもつかない想い。
それからほどなくして 父が亡くなりました。
大のねこ嫌いだったのに 
会うたびに『プー、元気らか。』と聞いてきた。
1月21日のことでした。


元気でした。
年末、29日。 天皇杯の予定がなくなって、実家に行った時も。
毎年の決まりごとで、夕飯をごちそうになりに行った大みそかの夜も。
手術をした一昨年よりも 
母はたくさんのごちそうをテーブルに並べ
私たちは途中で買ったお寿司を広げました。
『あんまり勧めると飲みにくいだろうから。』と
ノンアルコールのビールを自分のコップに注ぎ
アイカタには発泡酒を注ぎながら
『もしかすると、
オマエたち今年は来ないんじゃないかて言ってたんぞー。』
と繰り返し話して。
『うん。天皇杯に勝ってたら、
今頃はコクリツ行ってたからねー。』
負けちまったなあ。と笑った父。
みんなでたくさんごはんを食べて、
来年もよろしく。と挨拶した。


いつもどおり 元旦にアイカタの実家へ行き
たくさんの野菜をお土産にもらって寄った時も
変わりない父だったのに。

『熱があるんだわ。』 
お正月が終わって少したった頃、
電話で母が言っていた。
病気をしてから 
少し疲れたりすると熱を出すようになった父ですが
1日寝ていると翌日には下がっていたから
また そういうのかな。と思っていました。
でも冬だし。
風邪やインフルエンザだったら困るねえ。

『入院した。』
母から電話があったのは、19日の夜でした。
肺炎ぽい。ということでした。
肺炎。肺炎て、よくないんじゃない?
風邪から肺炎になって、体力が落ちて・・ってよく聞くよね。
母の話をまとめると
風邪が原因ではないようでした。
22日に転院して、再手術を受けるということでした。
遅くても26日、状態によっては23、24日。
いずれにしても、
もう一度手術をすることには間違いないようでした。
『来なくていいからね。』
どうせすぐに転院するんだから。ってお父さんが言ってるから。
『わかった。』
と言って電話を切ってから、どういうことか考えてみた。
あんなに元気だったのに。
またあの手術をしなきゃならないのか。
20日夜、母に聞いてみる。
肺炎て言ってたけどさ、おとうさんどうなん?
『それが全然フツーなんだよね。』
難儀そうにもしていないし、廊下も自分でしっかり歩くし。
4人部屋にいるから、あんまり話もしてないけど
手術をする病院へも、自分でタクシーに乗れるからって。
それじゃあ 22日会社終わったら行くわ。
そう言って電話を切りました。

『今 病院から電話があって 
おとうさん容態が少し変わったんだって』
母から電話があったのが21日 朝08:00少しまえでした。
タクシー呼んでるんだけど、どうしよう。
母の言い方は切羽詰まっているわけでもなく、
どこかのんびりしていました。
『迎えにいくから。』と言ったのはいいけれど
シゴトが10:00からということもあって、全然準備もしてなくてww
道路は通勤渋滞。
おまけに天気が悪くていつもよりも道が混んでいました。
実家へ着くと、どうやら母はタクシーで先に行ったらしく
また病院へと道を戻ることになり。
強い風が吹きつけるみぞれ混じりのなか病院に着くと 
父は 息を引き取ったあとでした。
母も、間に合いませんでした。
看護師さんは、はっきり言ってくれなくて
わたしは 
『それって もう亡くなってるってことですか。』
と とても間抜けな質問をしてしまい
『はい。そうです。』という答えにも
どういう事なのか すぐにはわからなくて。


23日が友引だったので
24日に告別式をすることにして
お通夜まで1日たくさん父と過ごすことが出来ました。
普通なら 
亡くなった翌日がお通夜になることが多いから
その日のうちにいろいろな人に連絡しなければならないはずですが
1日時間をもらったことは 
特に母にはありがたかったと思います。
どなたに連絡をしたらよいか わたしには見当もつかないし
電話をかける母は、
“父が亡くなった”となかなか言えずに言い淀み
とても時間がかかってしまったからです。
決めておかなければいけないことは、待ってはくれません。
父といるとき気丈だった母が
さき先へと動くわたしたちに
ちょっといじけたりする場面もあって 切なくなったりもした。
手術をしてからは
好きなお酒をまったく飲まなくなった父に
アイカタは八海山を買ってきてコップに注ぐと
布団に寝かされている父の前、
ローソクやお線香やらが並んでいる間に置いた。


朝 05:30に起きて
お弁当を作って、朝はトーストにコーヒー。
アイカタが出かけたら洗濯機を回して 後片付け。
シゴトに出かけてシゴトから帰る。
帰り道にスーパーへ寄って買い物して。
週末はサッカー。
わたしたちの毎日は、そんなルーティーンワークを
継続することで成り立っていきます。
父が亡くなった21日から、告別式までの4日間
そんな日常の空間から 切り離されて過ごしていました。
そこに流れる時間は濃密で何もなく
淡々としているけれど 繰り返されるいつもの時間とは
まるで違うものでした。
父と母とわたしとアイカタ。
それから途中から泊ってくれた叔父。
お通夜の日の朝以外は食事がつかないため
わたしとアイカタは、みんなのごはんの心配ばかりしていました。
そこがどんなに普段通りではなくても
生きていればおなかが空くものです。



“明日また来るからね。”
タイトルは、父が亡くなる前の日に
病室を出る母が 父にかけた言葉です。
“おう。気をつけて帰れよ。” って言ってたばっかりなのに。
それ、わたしも聞いた事があるよ。
一昨年、父を見舞って帰る時。
退院してきてからは 実家によってから、ウチに帰る時。
“じゃねー。”
と言うわたしに、必ず父は返してくれました。
張りのある、父の声。
今も こんなに思い出せる。



“家族や娘や 仲良くしていた友達の顔も
誰だかわからなくなってしまったり
長いこと寝たきりになった揚句に死ぬのだけはイヤだな。”

風邪ひとつ引かなかった父が
病気になるずっとずっと前から言っていたことでしたが
まさに、望み通りでした。
やったね とーちゃん。
さすがだね。
そう思った時 ようやく涙が出てきた。
おとうさん。 アリガトウね。







c95b1916.jpg








 *昨年の1月の雪です。今年はどうかな。



年賀状のやりとりが唯一のおつきあいになっている友達がいまして。
“今年こそ会おうね。”と、年賀状の季節になるといつも思う。
そしてまた1年。

今年いただいた年賀状。
アイカタの弟くん@天然に、家族がもうひとり増えました。
昨年10月。
連絡はもらっていたので、4人でちんまり並ぶ写真を見てにんまり。
差出人のところも、名前がよっつ。
ぎっちりだね。

ひところよく通った洋服屋さんのスタッフだった方から。
お店を辞めて かねてからの夢だった
カイロプラティックの仕事に就くために東京で頑張っていました。
お盆で帰省した時に 数々の失敗談を聞かせてくれたり
仕事や環境は変わっても、楽しい時間を持てる人でした。
一昨年結婚。
今年の年賀状には 昨年12月に生まれたばかりの
小さい赤ちゃんを抱っこした彼女と、だんなさまの写真が。。
だんなさまの顔は憶えていないけれど(^^ゞ
ほっそりとした友達の和服姿と
ピカピカの笑顔が印象的でした。

人生のある一時期は 
お約束のようにおこちゃまの写真が載った年賀状が届きました。
そういう年まわりだった頃。
自分も若かったので、当たり前のように眺めて過ごしていたけれど。
いま そういうお知らせをいただくとすごくうれしいのは
年を重ねたせいでしょうか。
生まれたところからスタートする人生ですから。
これからの長い時間を育んで行く訳で
経験しなかったこともこれから山ほどやってくるんだろうな。
若いおかあさんの中に入っても、
彼女ならきっとだいじょうぶ。
人一倍の好奇心と、向上心を携えて、いいおかあさんになるでしょう。
おめでとうございます(*^_^*)

もうひとり。
大台を過ぎたともだちからの年賀状。

“こんなことになってました。。”

というコメント入りの賀状のまんなかに
ちっちゃな赤ちゃんの写真!!

あらまあ♪
そりゃ 大騒ぎだね。
うれしい出来事が満載の便り。
にぎやかな空気が伝わってきました。


そういえば
マイチームの素敵なFW(笑
大島さんもお父さんになりましたね(*^_^*)
いろいろ おめでとうございます。




  *寝っぱなしのねこプーちゃん。
                   朝青龍にそっくりだったから写真撮ったのになんかカワイイ。クヤシイ。

ゆうべ。
夜ごはんを食べながら アイカタが言いました。
『明日は、06:20頃出るからねー。』
は?
明日。シゴトだったん。
『シゴトです。(ーー゛) 予定表見てねーのかよww』
見てねーわ。
『だってシーズン終わっちゃったし。29、30は休みだよねー。』

『29、30休むために、明日はシゴトになったんです(-"-)』

へー。 ノーチェックだったわー。トーゼン土日で休みかと。
あ。おべんとのおかずが、ない。
『・・・いつもは休みだっつっても買ってくるクセに。』
アタマをフル回転させて、おかずの算段をするワタクシ。
なんとかなるだろ。
なんとかなった。
やすみなのに、いつも通り いやちょっとだけゆっくり起きた今日。


出かける予定もないし。
ゆっくりコーヒー飲んで、衝動買いしちゃったラスクを齧る。
しばらくぼうっとして。。
ゆっくり ゆっくり掃除する。
掃除をしてるのか 模様替えがしたいのか
横道にそれながら 戻りながら。。 
クリスマスのために飾ったnoelの長靴を片づけたり
雪だるまのモビールを出して冬仕様にしたり。

いままでの週末は いつでもどこかのスタジアムに行っていた。
土曜か、日曜どちらか。
掃除する日はそのどちらかで、
どこかせっかちに
時間をかけないで済ませることにチカラが注がれた。
試合に行くことに、生活の重心が置かれていた。
それはそれで 楽しかったし充実もしてたけど。
夜中に起きだして、出かけて行くわたしたちを
ただじっと見ていたねこプーちゃん。
今日は 1日あったかいね。
寒い部屋でじっと帰りを待たなくてもいいね。
来年のカレンダーを、残り1枚になった今年の下に重ねます。
卓上のカレンダーは、来年は置く場所を変えてみよう。

2009年を戦った選手が、カレンダーの中で躍動する。
楽しそうに笑う。
楽しかったね。あの試合はみんなすごかったね。
もういない選手も、まだわからない選手も 
みんなでチカラを合わせて 相手と対峙する。
写真集が出ても、DVDが出ても だいじょうぶ普通に見るよ。 
だって 大好きだったから。
今年のチームが、いちばん好きだわ。 と毎年思うけれど
今年のチームは特別だった。

シーズンが始まる前に 
今年のチームは今年限りだと
言い聞かせてシーズンに入ります。
“もっと応援すればよかった。”と後から悔むのはイヤだから
いつも一生懸命応援してきた。
だから、今年もやりきった。
余力もないくらいに。
もっと 応援していたかった。 とは、思ったけどね。

来年になったら 
また“今年のチームがイチバン好きさ。”
と笑って言えるように。
また1年がやってきます。










  *和室の現状は、載せる勇気がありません**


みなさんのお宅にも、ありませんか?

これ いいな。ってお買いものして
置いとく場所が決まらなくて、あるいは思いつかなくて
とりあえず、のつもりでひょいって置いて。
使うときはそこから持ってきて
あー。コレ飾る(飾る?)場所どうしようかな
まあいいや、もうちょっとココにいてね。
同じような状況下で買ったものが 同じようにかりそめに置かれ
やがて押しやられ 埋もれていって。
そういったものたちが集まって 秩序のない空間が出来上がる。
だって かりそめだから。
おさまりが悪い風情で、そこにある。
在るべき場所が与えられるのを待っている。
そういうものが集まる場所。

それが わが家でいうと畳部屋『和室』に当たります。
リビングの隣り。引き戸で仕切られている。
サカダイにサカマガ。
WEEK!に新聞にエルゴラ。
保存用プレビュー本。
シーズンが終わったら、ファイルするのに
雑多に積んである。
シーズン中 雑誌たちの居場所になるのは、もう仕方ないんだけど。
すでにファイルされたもの-2005年くらいからのファイルたちが
ダンボールに入ったままドーンと置いてある。
この辺がメイン。
それを囲むようにして、 たとえば毎日使うんだけど、
ふだん目につくと収まりが悪いもの。
例えば、お弁当の小さい袋を入れて持ち歩くエコbag。
朝にはすぐに使う。
たたんでしまいこむには、頻繁に使うので
出しっぱのほうが便利。
ついつい、お隣りにポイっと置く。
戸を閉めたら、もうワカラナイ。
ものぐさも手伝って 気がつけばスゴイことになっていました。
ちょっとずつ集まった ラッピング用の袋やエアキャップ。
便せんや封筒やカードたち。
重ねたダンボール。
もらったけれど 使う予定のないカレンダー。
使い終わったマイチームのカレンダーたち。
小さな薬箪笥の上には、カンバッジ@マイチームやフィギュア@マイチーム。


うーん。
スゴイ。
テゴワイ。
畳が、見えないぢゃん。。。
見て見ぬフリも限界が。


ともかく
このコたちの落ち着き先を決めよう。
右から左へで終わるんだろ。
エエ。たぶん。
でもね ここに“何となく”置きっぱ。ってのがイケナイと思うのよ。
在るべき場所をつくってあげよう。
コレ、かわいー♪
と買っておいて、投げたままだった布製の大きな収納カゴ(画像)。
ポリ袋にざっくり入ったままになっていた
ラッピング用のエアキャップやテープやリボン、
小さな紙bagやらをひとまとめにして2階の通称“洗濯部屋”へ。
上から目かくしように布をかけて 出来上がり♪
使うときは、カゴごと持って下に降りればOK(^-^)

次。
洗濯部屋に置いてあるシェルフ。
雑誌“天然生活”や 昔からの45のカタログが積んで収納してあるのを見る。
カタログといってもハードカバーの変形A4版。
季節ごとに発行されていたそれは、
飾り紐がついていたりと凝った作りになっていて
カタログとしての用途をあまりなさないくらいに
スタイリッシュで(モデルは走っていたり海辺で座っていたり。
服そのもののデザインがわからない。
モデルさんは、地元の漁師さんだったりしていた。)
45rpmの服は、大好きでずっと買っていた。
スタッフさんがいい方だったり、お友だちになったり。
あまりにも買い物しすぎて 同じような服ばっかりになって
スタッフさんがお店を辞めたり。
もう いいかな。で しばらく過ぎた。 
いまはお店の場所も変わって どんな感じなのか イマイチわからない。
服自体は オンラインショップでも買えるようになったし。
発行が楽しみだったカタログだけど、
もう そろそろいいかな。と思えてきた。
大好きだったけれど、要らなくなる時はくるんだね。
場所を空ける。
空いたところにファイルたちを立てて入れる。
ビジュアル的には 何ともアレですが。
いらないものたちのために場所を使うのはもったいない。

上から降ろした本たちは、古紙回収に出すために
畳部屋に“借り置き。”
なんでやねん。(-"-)
整理のために始めたことで
よけい雑多になって 一瞬虚無感に襲われるも
出してしまえばスッキリ♪♪
カレンダーはバラして 小さくちぎって燃えるゴミの日に出した。
マイチームのものは、モチロン保存♪


かなり すっきりはしましたが。
最終的には、 和室を和室として使えるように。
薬箪笥と丸座布団を重ねて置いてあるだけの和室6畳を目指します。
リビングの座卓を移動して
ソファの前のラグにカラダを伸ばしてゴロゴロ\(~o~)/
をもくろんでおります(はあと)
うまくいったら、ぜひ画像を載せたいと 思います。





[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7
忍者ブログ [PR]