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アルビレックス新潟と 飼い猫と アイカタと。
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*すこし修正しました*
12月30日。
今年も あと残すところ1日。
そして “俺たちの船越” が5年間を過ごした新潟を後にする日。
nishiさんのところで 秘密裏(笑)に計画された「お見送りプロジェクト」は
前日、ようやく乗車する新幹線が告知された。
13:30をまわって、改札を抜けると、既に人の山が出来ていた。
その中心で、笑顔のフナゾーさんが見えた。改めて、大きいヒトなんだなあ。。
だって、離れていてもどこにいるかすぐにわかる。

少し照れたような笑顔。このヒトって、きっと小学生の頃から(もしかしたらそれ以前)
顔、変わんないんだろうな・・

「船越優蔵」という名前を初めて聞いたのは、2002年の、アウェイ大分戦。
アルビレックス新潟は、昇格争いの只中にいたらしかった。
新聞にも大きく取り上げられ始めて、なにも知らないワタクシはとりあえず
その試合をラジオ中継で聴いていた。
選手交代が告げられ、変わって入ったのが、「船越優蔵」その人だった。
ラジオから流れてくる、ものすごい大歓声。このヒト、すごい期待されてるんだ。
それから、そう時間が経たないうちに実況が、船越のアクシデントを伝えて、
聞き取りにくい中継に、何が起こったのかよくわからないまま、
聞き耳を立てていたことをよく覚えている。まだ、顔さえ知らなかった。
2005年。ホーム川崎戦。ワタクシにとっての船越優蔵は、ここから始まった。
それからは。あの時、彼に降りかかった不幸な出来事を、
今度は 目の前で再び見ることになり。選手の怪我についての発表はいつも遅いくせに
この時はその日のうちに発表された。
アルビの他の選手と同じくらいに、この人の事は個人的には知らないけれど。
チームがリーグ戦を戦っていくなか、怪我の具合や、リハビリや、コンディションを、
いつも何処かで気にしていた。

復帰するまでの長い長い間。
「船越優蔵」が埋没してしまわなかったのは、大勢の彼を愛するサポーター達の、
やたらとでかい見るからにお手製のダンマクだったり、
(このステキなダンマクはサテライトにも登場し右へ左へと移動しつつ揺れていた)
試合前の、計算された時間帯(キショーとかが気を使わないように。というのには泣けた・笑)
に繰り返された船越コールとチャントであったり。
ずっとずっと前から彼を愛してきたヒトたちの思いの強さをいつも感じることができたから。

nishiさんのブログの、やんちゃな表情。試合中の、厳しい目。
オレンジカフェに行くといつも聞こえた、楽しそうな、大きな声。 忘れません。
何処に行っても、応援しています。 
自分自身に気合を入れたい時は、ビッグスワンに28番Tシャツを着ていきます。
ありがとう。 元気で。

今年のうちにやっときたかった事。
駅から歩いて、万代へ。ずっと買おうと思っていて後回しにしてた、来年のカレンダーを買った。
大掃除(フツーの掃除やね。)も終了。
明日、お正月に飾るお花を買ったら、今年のお仕事は、終わる。

もうすぐオフになるのに。という微妙な時期に、やっぱりワタクシアルビレックスが好きだわ。
ずっと、自分に本気ですか?と自問し続け、「是なり。」と自答してブログを始めました。
来年も 自分の触覚に触れたことを、自分の言葉で書いていけたらな。と思っています。
見に来てくださった皆様、コメントをいただいた皆様、本当にありがとうございました。
また、来年。よろしくお願いいたします。

デモ、明日モ書クカモー ^‐^

 

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