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アルビレックス新潟と 飼い猫と アイカタと。
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* すこし修正しました *

サンクスフェスタから2日後の今日である。

あまりの寒さに、スタジアムで豚汁を買った。
売店はえらく混んでいて席に着いたら開始20分前だった。豚汁さんは結構な量。早く食べなきゃ始まっちゃう。あせって飲んだら、クチの中を火傷した。今でも、じんと感覚がにぶい。 なのでまだ少し引きずっている自分。

2004年のシーズンが終わった頃、反町前監督が雑誌のインタビューに答えていた。
「チームは過渡期に来ているし、自分は過渡期の監督というふうに認識している。チームの過渡期に頑張っていた選手達の事をサポーターが忘れないように、過渡期の監督として奮闘したい。」
不思議な気がした。2004年といえば、J1昇格元年の記念すべき年。 思ったより、やれるじゃん。
そんな高揚感。あれほど強かったホームでなかなか勝てない。ようやく初勝利。4連勝のあとの地震。
最終順位は 10位。 上出来と思った。 “過渡期”なんて・・ でも、この時男前は もっと先を見ていた。

上野優作。ファビーニョ。宮沢克行。鈴木健太郎。船越優蔵。喜多靖。梅山修。

さよならする選手の半分が「過渡期に頑張っていた選手達」。 
もう、次の段階へ進んだということなのか。
悲しいニュースを聞くたびに、もやもやとしたままやり過ごしていたけれど。
言葉にすることで自分の中でカタをつけたい。

2005年。DF陣がまるで歯が欠けるように負傷で離脱して行く中、
喜多とウメちゃんは、もう移籍してしまったハギー(萩村滋則)と 懸命にゴール前でカラダを張り続けてくれた。みんながいてくれたから、今があるんだね。
けんたろ。 この場面、というのが思い浮かばない。ただ、いつも目に浮かぶのは “ドタドタ” って擬音が書かれていそうなドリブル(笑) 2003年の後半くらいかな、本当に頼もしかった。
優作さん。アルビの選手の中で、「この人、いいなあ。」と初めて思ったひと。
献身的なプレイ。とことん、あきらめが悪い。「もう、これまでなのか。。」と思うときに
鮮やかに局面を変えてみせるのは、いつもこの人だった。

岡山哲也。

新潟に来て2年。コンスタントに試合に出ていたわけではないけれど、出た時はいつもわくわくした。
河原くんが「目標にしたい。」といった時、この人が新潟にいてくれた僥倖は、これから表れるんだと思った。

海本幸治郎。青野大介。

幸治郎。今だから言いますが、このヒト、ワタクシの中で唯一の「キャアキャア枠」。後釜、未だ現れず。
期待されて、来てくれたよね。移籍が決まった時は、うれしかった。でも、ウチでは生かしきれなかったのかな。
あおのん。ケガにつきまとわれて、苦労して、ようやくウチの子に。去年は、パスセンスにわくわくした。
今年は、サテでも 何だか悩んでいたみたいに見えた。
この2人を思うとき、少し辛い。

中村幸聖。大谷昌司。酒井悠基。栗原明洋。

栗原くんは今年サテですごく頑張っていた。危機感を隠さなかった。殻を破りきれなかったのか。。酒井くんは、ケガがちだった。 みな、チャンスがなかった訳ではない。でも、生かしきれなかった。

ここまで書いてみて、気がついたことがある。
ミヤのこと、尾崎くんのこと、わたしには 語る言葉が見つからない。選手に対する思い入れは、
そのまま自分が、いつ位からどんな風に関わってきたかを写し取る。

シーズンが始まる時、いつも思う。このメンバーで戦えるのは、この1年だけ。
もしかしたら、それもかなわない。

みんながあれだけ愛した、ニイガタを愛してくれたファビーニョは、来季からはもういない。
けれども、今いる選手、これからやってくる選手を 同じように愛することはいくらでもできる。
ファビーニョと幸せな関係を築けたように、選手達を愛したい。

 

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