アルビレックス新潟と 飼い猫と アイカタと。
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昨日の新潟日報の朝刊で
昨シーズンにマイチームを戦力外になった慶治サマが
現役を引退してアシスタントコーチに就任することが決まった。
と告げていました。
朝いちでのうれしい知らせに、
昨日は1日シアワセな気持ちで過ごすことが出来ました。
夜になってから モバアルに掲載されたインタビューは
選手時代から引退するまでの経緯や その時々の心情、
これからへの期待など 丁寧に答えられていて
あさ 聞いた時にはただただうれしくて
あの姿を またニイガタで見られることにほっとしたり
センシュにとってもいいことだよね。とはしゃいでいたのが
記事を読み返すほどに
1人のプロ選手が 引退を決意することの重さと
クラブから要請されたこと-その時期であったり、内容であったり- を
尊重して 受け入れてくださったことへの感謝のキモチで
いっぱいになりました。
具体的な内容を ここに書くのは控えますが、ひとつだけ。
“これからもアルビレックス新潟に関われることを誇りに”
J2にいた頃の事を知る人はみな去って、
当時を知る選手は、イサオだけになりました。
けれど、ウッチーが 千代さんが ナガタミツルが。
『このチームをJ2に落としてはいけない。』
口々にそう言いましたね。
J1のステージへと引き上げて、闘った選手たちの意志は
ちゃんと受け継がれています。 それは、もちろん慶治サマにも。
とどめてくださったフロントの方(神田センセイですね)、
グッジョブです。
このヒトがいてくれることで どれだけ選手のみなさまが心強いか。
スーツも似合うし(殴
アシスタントコーチからのスタートですが
上手くなるための努力を惜しまなかった方ですから
よいコーチになるために、頑張ってくださることと思います。
なによりも ヨカッターーー。
いてくれて ありがとうございますーー。。。。
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きのう 届いた移籍のお知らせ。
ここでは おひさるで発表されたものから書いていきたいと思います。
湘南への完全移籍が決まった ノザとテラ。
日報の朝刊では、ノザの移籍のことが大きく記事になっていました。
夕方になって届いた モバアルメール。
そこには、テラの名前が並んでいました。
「まだ、サッカーやりたいんで。」
サンクスフェスタで、そう言っていたテラ。
新しいチームで サッカーを続けていくために。
アルビレックスを去る 2人の選手のコメントが載っていました。
テラは8年。 ノザは、9年。
ニイガタの選手として、ニイガタで過ごした時間の長さです。
2人とも ほとんどおなじくらい。
『アルビサポさんて、みんながみんな
野澤さんと慎吾さんのこと 大好きなんだと思ってた。』
2007年。他サポさんに言われたことがありました。
その時のワタクシは、
『うん、好きだよー。ウチのチームの選手だもん。』
と答えたような気がします。
そうか。
外からは そんなふうに見えるんだ。
アルビレックス新潟と言われて まず思い浮かぶ名前って
その2人なのかも知れないね。
2003年の途中から試合を観るようになったワタクシにとって
最初は サッカーのルールはおろか 知識も皆無で
ポジションの名前さえさっぱりわかりませんでした。
そんなワタクシでも、ゴールキーパーはわかった。
そのとき そこに立っていたのは、野澤という選手で
彼はすでにその位置を約束された存在でした。
2004年 2005年。
現場で観る試合の数が増えていくのにつれて
ポジションの名前を覚えていき、 感情移入の度合いも
“地元のチーム”から、“マイチーム”へと深くなり。
選手1人1人を 走り方などから区別できるようになったころ
ゴールマウスに立つ選手が 変わっていました。
2006年のことでした。
北野さんになかったものは、“実戦経験”。
監督が淳さんに代わって、チームも生まれたてでした。
新しいサッカーを模索しているチームと 重ね合わせるように
経験不足さえ自分の武器に変えるイキオイで、チカラをつけていきました。
アルビの入口に立ったころには
永遠にこのチームのゴールキーパーだろうと思っていたノザ。
別れの言葉は、ノザらしい。と思いました。
どちらかと言えば ワタクシの中のノザに対するイメージに近い。
というのが正確かも知れません。
ずっとずっと前から アルビを応援してきた方や
長い間 ノザという選手を応援してきた方の心情は
ワタクシには 想像するしか出来ないし
だから なおのこと わかったような事は書けません。
けれど テラの言葉は。
“優勝争いをするようなクラブへ成長し続けてください。”
“ニイガタが大好き。”と言われるよりも
テラのお別れの言葉が ストレートに心に響いてくるのは
きっと このシーズンを通してチームのために闘い、
最後までピッチに立ち続けたから。
厳しくて 苦しかったシーズンを
ともに乗り越えてきたという記憶が 強く残っているから。
テラの アルビレックスというチームへの“情”が伝わってくるのです。
今シーズンの終わり。
マイチームは試合に出る 出ないにかかわらず
選手は固く固く結束していました。
試合に出ることが出来なかった選手が
腐ることなく練習から盛り上げ 支えてくれたからこそでした。
キーパーというポジションは
試合毎に交代で出るというわけには、いきません。
もう お別れを言わなくては。 だって もう動き始めている。
長い長いあいだ
このチームの選手でいてくださって ありがとうございました。
これから先に進む道が
2人にとって 明るいものでありますように。
*うさだるま。Sleepy Sheep ; Soapさまの新作です。
よく見ると、わらってます^-^
冬型がくるぞー。と天気予報がリリースしているにもかかわらず
穏やかに晴れております 新潟市内@中央区。
お掃除も終わって 余裕のお茶タイム♪
14:10からの 北越高校@サッカーの試合が楽しみです。
大晦日の今日は 例年通りワタクシの実家へ出かけます。
いつもなら 今日もシゴトをしていた両親だったので
18:00頃に着くように 頼まれた買い物を持って行っては
勝手に上がり、電気やこたつをつけて
シゴトを終えてやってくる両親を待っていました。
店を閉めてしまった今年は、16:00くらいに着くように。
サッカーが終わってから 出かけたらちょうどいい時間です。
ゆったりと迎える 大みそか。
夏に大きな病気になり、手術をした父も、自宅で年越しです。
病気の名前は “大動脈瘤”。
休みで 出かけようとして朝ごはんを食べている最中に
具合が悪くなった父。
出先で亡くなっていても、不思議ではなかった。
『運がよかったんだよ。』手術をしてくれた先生に、口々に言われました。
“例年通り”に年越しが出来るのは とてもありがたいことです。
父だけではなく 他の家族も、病気のプーちゃんもみんなで
揃って元旦を迎えられることに たくさん感謝しています。
元旦は、アイカタの実家へ。
オトウト夫婦@天然の帰省と ようやく重なりました。
(昨年の夏もその前も アウェイでお盆に帰らなかったワタクシたち)
2年前に生まれた甥っ子と、初めてのご対面です。
見せてもらった生まれたての写真。朝青龍みたいだったなー。
今は、どんなんなってんのかなー。
男の子だから 騒がしいんだろうなー。
たまには、そういうのもいいよね。
今シーズンは、 苦しいことが多かったね。
どうしたらいいのか自分なりに考えて 行動にあらわしたり
あるいは整理したくてここに書いたりもしました。
思いがけない うれしいことに 出会うこともありました。
悔しくて泣いたことも たくさんありました。
その全部が マイチームが大好きだからこそ。
新しいシーズンも いろいろを共有しながら
難題を乗り越えて シアワセは分かち合って
しぶとくサヴァイヴしていきましょう。
リアルで関わっていただいたみなさま。
拙い文章に おつきあい下さったみなさま。
1年間 たくさんお世話になりました。
よいお年を お迎えください。
また 来年。
よく見ると、わらってます^-^
冬型がくるぞー。と天気予報がリリースしているにもかかわらず
穏やかに晴れております 新潟市内@中央区。
お掃除も終わって 余裕のお茶タイム♪
14:10からの 北越高校@サッカーの試合が楽しみです。
大晦日の今日は 例年通りワタクシの実家へ出かけます。
いつもなら 今日もシゴトをしていた両親だったので
18:00頃に着くように 頼まれた買い物を持って行っては
勝手に上がり、電気やこたつをつけて
シゴトを終えてやってくる両親を待っていました。
店を閉めてしまった今年は、16:00くらいに着くように。
サッカーが終わってから 出かけたらちょうどいい時間です。
ゆったりと迎える 大みそか。
夏に大きな病気になり、手術をした父も、自宅で年越しです。
病気の名前は “大動脈瘤”。
休みで 出かけようとして朝ごはんを食べている最中に
具合が悪くなった父。
出先で亡くなっていても、不思議ではなかった。
『運がよかったんだよ。』手術をしてくれた先生に、口々に言われました。
“例年通り”に年越しが出来るのは とてもありがたいことです。
父だけではなく 他の家族も、病気のプーちゃんもみんなで
揃って元旦を迎えられることに たくさん感謝しています。
元旦は、アイカタの実家へ。
オトウト夫婦@天然の帰省と ようやく重なりました。
(昨年の夏もその前も アウェイでお盆に帰らなかったワタクシたち)
2年前に生まれた甥っ子と、初めてのご対面です。
見せてもらった生まれたての写真。朝青龍みたいだったなー。
今は、どんなんなってんのかなー。
男の子だから 騒がしいんだろうなー。
たまには、そういうのもいいよね。
今シーズンは、 苦しいことが多かったね。
どうしたらいいのか自分なりに考えて 行動にあらわしたり
あるいは整理したくてここに書いたりもしました。
思いがけない うれしいことに 出会うこともありました。
悔しくて泣いたことも たくさんありました。
その全部が マイチームが大好きだからこそ。
新しいシーズンも いろいろを共有しながら
難題を乗り越えて シアワセは分かち合って
しぶとくサヴァイヴしていきましょう。
リアルで関わっていただいたみなさま。
拙い文章に おつきあい下さったみなさま。
1年間 たくさんお世話になりました。
よいお年を お迎えください。
また 来年。
27日の準決勝で、コンサドーレ札幌ユースU-15を破って
決勝戦進出を果たした アルビジュニアユースは
きのう29日 決勝戦を闘うために 国立の舞台に立ちました。
27日 夜ごはんの時に『行ってくればー。コクリツ。』 とアイカタ。
30日までシゴトが入っていて、自分は確実に行けないんである。
言われて、『うーん。』と、ちょっと考える。
何と言っても コクリツだ。
アルビの名前を持つチームが、
代替え試合などではなく 国立のピッチに立つ。見たくないわけがない。
でもなー。
ハラの中で シュミレーション。
11:30 キックオフってことは、始発の新幹線にでも乗らないと間に合わないよなー。
始発って 何時だ?
アイカタを送り出して出て、間に合うのか?
東京についたとして、コクリツってどうやって行くんだろう?
全部調べればわかることなのに、
アタマの中であれこれ考えるのは楽しかった。
12月29日。
ニュースでは、新幹線のシステムトラブルのため
新幹線のダイヤが軒並みストップしていると報じていた。
・・・そうきたかww
では おとなしくウチにいるしかないわねえ。
というか 日曜にやれなかった換気扇まわりと
シンク・排水口の掃除という大仕事を控えていたワタクシ。
最初から 行くことは叶わない。
時間を気にしながら、大清掃にいそしみます。
そろそろ、始まったか。
大掃除、終了♪♪ あ~らっくり^-^
昨日書き終えた年賀状と、
来年2月に行われる選手激励会参加の申し込み。
それから 最後の追加支援のための準備をして、ウチを出る。
天皇杯は、とりあえずおいとこう。
ATMがある、スーパーの駐車場に車を止めて、用を足す。
ランチをするために、次のお店へ。
行きたかったのは、“またのり。”
もうずっと行っていない。
平日やすみの今日、出かけるのを楽しみにしていました。
エンジンをかけようとして、メールが届く。
“天皇杯、柏を応援していますー♪”
相手は、FC東京。 ワタクシも柏を応援するわーww
返信を打っていると ほどなくまたメールが届く。
時間からして、予感がありました。
『速報 高円宮杯第20回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会』
きた。
ゆっくり スクロールする。
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“本日、東京・国立競技場で開催されました高円宮杯第20回全日本ユース(U-15)
選手権大会 決勝戦で、クラブ史上初となる栄冠を狙ったアルビレックス新潟
ジュニアユースは、惜しくも0-1で、FC東京U-15に敗れました。”
うーん。
そうか。
“前半から新潟ジュニアユースはボールを保持し、優勢に試合を進めていましたが
後半にFC東京U-15深川に先制を許します。
その後は逆転を狙って果敢に相手ゴールに迫りましたが、
得点を奪うことはできませんでした。”
んーーーーん!!
残念!!!
何と言っても観ていないので なにか言えるわけでもないのですが。
打ったシュート数は、14本。
相手のシュート数は、わずか6本。
失点の場面は、FKのこぼれダマを詰められたもの。
マークを徹底しろと言われていたのに “甘さが出た。”
1シーズン分のリーグ戦と、カップ戦(予選ね)。
いくつも、いくつも数を見続けていると
そんな試合、観たよなあ。と 思い当たることがないわけじゃない。
けれど、アルビレックスジュニアユースが
そこで身をもって闘い 超えてきた80分は、たったひとつ。
14本もシュートを打つチャンスがあったこと。
その どれも決められなかったこと。
こぼれダマのカバーを、し切れなかったこと。
悔しかったね。
負ければ終わりのノックアウト方式で 山の上までやってきた。
ゲームの終わりは、チームの解散を意味する。
勝者も敗者も、それだけは平等だ。
タイトルの言葉は、キャプテン石井くんの、最後のコメントです。
決勝戦を前にして、 彼は『自分たちのサッカーを貫こう。』と言っています。
積み重ねてきたことに、迷いがない証し。
そして、その通り試合を進めることが出来た。
勝ちだけが、ついてこなかった。
このチームは、これで終わるけれど。
来年も必ずコクリツに立たなければならないよ。
1年だけで、終わっちゃダメだよ。
創立5年目で、ここまできた。
ここからは、常にこの場所へ帰ってくるようになるんだよ。
ウチに帰ってみた 天皇杯。
ガンバ大阪は、CWCを闘って間もないのに 中3日でピッチに立った。
終始劣勢に立たされながら 相手のクロスを粘り強く跳ね返し
チャンスを察知するや 何人もでFC東京のゴールに襲いかかった。
交代でピッチに入った、フレッシュな選手たちがチームを鼓舞する。
疲弊しきっていたはずのチームが、
延長戦に入るころには表情にチカラが戻る。
劇的な決勝点は、15分ハーフの後半戦。
抜けだしたヤマザキくんが 冷静に蹴り込んで1点をもぎ取り
そのままタイムアップ。
どんなに 押し込まれていても
ゴール前でボールを奪うと、決して縦に急ぐことなく
ボールを運ぶガンバの選手たち。
そのあせらなさは、一夜漬けで身についたものではないでしょう。
あのしぶとさが、マイチームに備わったら。
コクリツの舞台は、満身創痍になってでも立ちたいと思うほどに
選手を魅了してやまない。
ガンバの選手を うらやましいと思うより
ジュニアユースが先にそこへ立ったことで
ワタクシの中で “コクリツ”はぐっと現実味を帯びて
すぐそば近くまで やってきた(気がする)。
来年こそは。
みんなで目指そうね。