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歩いて数分、クルマで数分の実家(ワタクシの)から
ただいま 帰還致しました。
高校サッカー。 高 志 0-5 大 津
うーむ。 途中まではいい感じだったんだけど。3点目をとられたのがイタかったなー。
GKをはじめ、DF陣は1年生がほとんどと聞くと来年に期待せずにはいられない。。
みんな泣いてたね。悔しかったね。次がんばれ。次に必ず生かせ。
こないだイキオイで購入したDVDレコーダーですが、
CATVのチューナーとも接続しなきゃ。なのでなんかイマイチ複雑らしく。
今日の17:00~のアルビの特番を録画してみたのですが
再生したら、砂の嵐。音声もナシ。うーん。今アイカタがヘコみ中。
前途は多難なり。
実家で紅白歌合戦を見る。。「オマエ(ワタクシのこと)、キムラタクヤに似てんなー。」
ヨパラッタ父親がひとこと・・・・・それは、ほめてるんでしょうか、おとーさん。
全然うれしくありません(涙)
みなさま、どうぞ よいお年を♪
*すこし修正しました*
12月30日。
今年も あと残すところ1日。
そして “俺たちの船越” が5年間を過ごした新潟を後にする日。
nishiさんのところで 秘密裏(笑)に計画された「お見送りプロジェクト」は
前日、ようやく乗車する新幹線が告知された。
13:30をまわって、改札を抜けると、既に人の山が出来ていた。
その中心で、笑顔のフナゾーさんが見えた。改めて、大きいヒトなんだなあ。。
だって、離れていてもどこにいるかすぐにわかる。
少し照れたような笑顔。このヒトって、きっと小学生の頃から(もしかしたらそれ以前)
顔、変わんないんだろうな・・
「船越優蔵」という名前を初めて聞いたのは、2002年の、アウェイ大分戦。
アルビレックス新潟は、昇格争いの只中にいたらしかった。
新聞にも大きく取り上げられ始めて、なにも知らないワタクシはとりあえず
その試合をラジオ中継で聴いていた。
選手交代が告げられ、変わって入ったのが、「船越優蔵」その人だった。
ラジオから流れてくる、ものすごい大歓声。このヒト、すごい期待されてるんだ。
それから、そう時間が経たないうちに実況が、船越のアクシデントを伝えて、
聞き取りにくい中継に、何が起こったのかよくわからないまま、
聞き耳を立てていたことをよく覚えている。まだ、顔さえ知らなかった。
2005年。ホーム川崎戦。ワタクシにとっての船越優蔵は、ここから始まった。
それからは。あの時、彼に降りかかった不幸な出来事を、
今度は 目の前で再び見ることになり。選手の怪我についての発表はいつも遅いくせに
この時はその日のうちに発表された。
アルビの他の選手と同じくらいに、この人の事は個人的には知らないけれど。
チームがリーグ戦を戦っていくなか、怪我の具合や、リハビリや、コンディションを、
いつも何処かで気にしていた。
復帰するまでの長い長い間。
「船越優蔵」が埋没してしまわなかったのは、大勢の彼を愛するサポーター達の、
やたらとでかい見るからにお手製のダンマクだったり、
(このステキなダンマクはサテライトにも登場し右へ左へと移動しつつ揺れていた)
試合前の、計算された時間帯(キショーとかが気を使わないように。というのには泣けた・笑)
に繰り返された船越コールとチャントであったり。
ずっとずっと前から彼を愛してきたヒトたちの思いの強さをいつも感じることができたから。
nishiさんのブログの、やんちゃな表情。試合中の、厳しい目。
オレンジカフェに行くといつも聞こえた、楽しそうな、大きな声。 忘れません。
何処に行っても、応援しています。
自分自身に気合を入れたい時は、ビッグスワンに28番Tシャツを着ていきます。
ありがとう。 元気で。
今年のうちにやっときたかった事。
駅から歩いて、万代へ。ずっと買おうと思っていて後回しにしてた、来年のカレンダーを買った。
大掃除(フツーの掃除やね。)も終了。
明日、お正月に飾るお花を買ったら、今年のお仕事は、終わる。
もうすぐオフになるのに。という微妙な時期に、やっぱりワタクシアルビレックスが好きだわ。
ずっと、自分に本気ですか?と自問し続け、「是なり。」と自答してブログを始めました。
来年も 自分の触覚に触れたことを、自分の言葉で書いていけたらな。と思っています。
見に来てくださった皆様、コメントをいただいた皆様、本当にありがとうございました。
また、来年。よろしくお願いいたします。
デモ、明日モ書クカモー ^‐^
えーと。今日は換気扇の掃除をしてガスレンジを磨きました(ひとりごと)。
さて。今さらですが今年もおひさる本が出揃いました。
・「熱戦の軌跡」 アルビレックス新潟オフィシャルイヤーブック2006/アルビレックス新潟発行
・アルビレックス新潟オフィシャルブック2006総集編 「新生の証し。」/新潟Week!増刊
・アルビレックス新潟プレミアム写真集 オフィシャルフォトブック2006/ 新潟Week!増刊
以上の3冊でふ。
プレミアム写真集(完全予約本でっせ。。)を除く2冊は、試合の記録や、選手のインタビューなんかも掲載されているのだけど、ここは写真に限って見てみました。
「フォトジェニック」であるかどうか。に限って。・・・といってもワタクシも専門家ではないので
写真として、好きかどうか。で行ってみる。
すると、ウチの子がピンで写っているものより、例えばセットプレー。
ゴール前なんかでヒトがちゃわちゃわといる、混戦のヤツに目が行く。
アイツよりも少しでも高く。と跳ぶキショーだったり、一歩でも前へ。
とユニを引っ張られながら足をだす千葉ちゃん。そんな一瞬一瞬の連続で試合は作られてゆく。
で、実際にスタジアムで試合を観ている時、もちろん自分の目で観ているのだけれど、
その瞬間、切り取られたように場面が止まってみえることがある。
2004年、ホーム鹿島戦。終了間際にセットプレーから点を取った時の
慎吾にスローインのボールを要求した優作の、必死の表情。
2005年、ホームFマリ戦。きれいにオフサイドトラップが決まった時、
まるで短距離走のように、横1列にマリノスの選手が4人くらい駆け込んできた、あの一瞬。
そして、2006年。 アウェイ千葉戦。
エジが必死に追いかけてマイナスでゴール目掛けて打ったシュートを、アベユウキさんが
止め損なう。キーパーはエジに対していた為、無人のゴールラインと平行に
ゆっくりとボールが転がる。雨のフクアリで、誰か来てくれ・・と祈るあの
長いのか短いのかわからない時間、
ゆっくりと、目の端にフレームインしてくる脚が見えた。
あとで映像で観たら、あの時のキショーは3mくらいはあろうかというストライドで、
エラい速さで走ってた。でも、その時の印象は、やっぱり止まってみえた。
印象的なシーンは、たくさんあるけれど、一枚の絵のように、止まって見えることはそうない。
そして、そういうシーンは長く忘れない。
で、そのシーンが載ってないかな~と思って探すんだけど、ないのよコレが。いいけどね・・。
*おまけ。 上にあげた3冊のうちの上から2番目の本。
P86のアトム。 かわいー(笑)背中にゼンマイついてそう。。
どうも何だか様子調子がオカシイ。
25日に告別式を終えて、ようやく日常が戻ってきた。
ワルい知らせは、だいたいいつも突然にやって来る。
タイトルは、前に好きだった松任谷由実さんの歌詞。
「時は去るのではなく、永遠(とこしえ)にやって来る。」というもの。曲名は、ワスレタ。
それまで気にも止めなかったフレーズが、突然自分の中に「入って」来ることがある。
ちょっと前の「ほっかも」ブログで、
“本を読むときに、何度も読み返さなければ入ってこない言葉は、
その人にとって必要のない言葉だから、読み飛ばしていい”というような事が書いてあって、
うわすごいなほっかも。と思ったことがありましたが、
同じように考えたら突然に入り込んでくる言葉は、その人へのメッセージなのだわ。と思うのです。
上の言葉のメッセージは、
“時間は過ぎ去るのではなく、誰の上にも平等に、前から前から絶え間なくやって来る。
後ろを振り返るのではなく、前を向いて行こう” と、勝手に解釈していました。
時が前から訪れなくなった時が、みまかる時。
今年も終わろうとしていますが、今年のうちに書き残しておきたいことがあります。
ウチの飼い猫、プーちゃんのことです。
ワタクシのHNは、プーちゃんを呼ぶ時のおとだったりします。
ねこは嫌い。という方は、どうぞスルーしてください。
名前は、プー。1994年2月13日生まれの12歳。雌。雑種。 薄茶と、焦げ茶のしまねこです。
ねこは生まれて最初の1年でオトナになり、2年目からは1年に4つずつ年をとるらしいので
ニンゲンにすると 67歳くらい。
生後1週間でもらう事を決め、1ケ月後にもらいに行きました。
「みー」と鳴くこともできなかった仔猫のプーちゃんは、手のひらに余裕で乗っかるおチビでした。
今年受けに行った予防注射の時、センセイに、「歯がぐらぐらしていますね。」と言われました。
まだ元気なうちに、歯石を取った方がいい。このままいくと、ゴハンがたべられなくなるかも。
考えて、お願いすることに決めました。6月の初めのことです。
ニンゲンみたいに「あーん。」とかできるわけもなく、全身麻酔。
前日から絶食して、その日はお泊り。 イヤなヨカンがしました。
コイツときたら、知らないニンゲンと、よそのねこといぬが、からきしダメ。
ヨカンは的中し、迎えに行ったワタクシが見たものは、
ありとあらゆるもの(ヒト)に向かって威嚇しまくるプーちゃんの姿でした。
「様子を見るのに、ゲージに近づいただけで怒った」そうで、顔中目ヤニだらけ。
スタッフの皆様にあやまり倒してドアを閉めるまで、ずっとうなり通しでした。
バスケットを助手席において、覗き込む。
「プーちゃん。頑張ったね。」というと、かすれた声で「な~」と鳴いた。
それでも悪い歯は抜歯したし、後はよくなるだけと思っていたのに。
プーちゃんを預けた日の新聞に載っていた、「猫の死因の第一位は、慢性腎不全」の記事。
何故だか、気になってとっておいた。
麻酔をかける前にやった血液検査の結果を、教えてもらった。
「プーちゃん、腎臓が悪くなっていますね。」
「慢性腎不全」。カラダの外に排出されなければいけない成分が、血液中に残っている。
いちどかかると、治らないとも。「腎臓というのは7割ダメでも、
3割機能していたら大丈夫な臓器です。数値に表れたという事は、3割以下と思ってください。」
センセイの言葉が、自分の外側を滑り落ちてゆく。
ちゃんと聞かなくちゃと思いながら、上の空だった。2日ぶりにわが家へ戻ったプーちゃんは、
少しニオイを嗅ぎまわると、じゅうたんの上に、ごろんと横になった。
知らないヒトと、大キライないぬやねこ達の中で過ごしたことがかなり辛かったらしく
わずかの間にげっそりと痩せていた。
好きだったカンヅメも、もう食べれない。訳もわからず、(カンヅメちょうだい。)と鳴いた。
あの夏のころ。
もう今にもプーちゃんとさよならしなくてはいけない気がしてしばらくは辛かったけれど。
もし毎年お医者に行っていなかったら、病気にも気がつかずにいた。
そして死んじゃったりしても、ただ年をとったからと、きっと思ってた。
そうして、あの時 散歩に行ってあげてたらなあ。と後悔したと思う。
いつだって、大切なものは失ってから気がつくのだから。
なによりプーちゃんは、今きっちりと生きている。腎不全用のゴハンにも慣れて
あの時のオレの涙を返せ。というくらいに元気に生きている。
ただ、彼女の砂時計は確実に残り少ない。
12年も一緒にいて、この先もずっと一緒にいるもんだと、思っていた。
最近、雑になっていた。朝の忙しい時間に煩くされると、「ウルサイよー。」と邪険にしてた。
「外に出たいよう。」と鳴いていても、後回しにしたりしてた。
だから、もう一度ちゃんと向き合おう。と思った今年。ごめんね。
リビングのソファの背もたれの上。エアコンの温風が当たる。冬のプーちゃんの定位置だ。
今も。アタマを投げ出して、眠る。
ニンゲンの上にも、眠るねこの上にも平等に、これからも時は前から前からやってくる。
今年1年間、ビッグスワンに通って感じたことは、観客の数が減ったなあ、ということ。
4万人を超えたゲームは、数えるほどだったと思います。
スタジアムへ 足を運ばなくなった人たちは、何処へ行ったのでしょう。
転勤したり、家族や本人自身が、病気になったり。はもちろんあるでしょうけど、自分の意思で行かなくなった人のことを考えてみた。
ワタクシのビッグスワン・デビューは、2002年の8月24日。
B'Zのコンサートツアー、“GREEN” でした。サッカーでは、なかったのですね。
で、その時、ビッグスワンの愛称を持つこのスタジアムの美しさにすっかり魅了され。
今度は、是非サッカーで見てみたい。と思ったのがきっかけでした。
その年は、その後行けたのかどうかは、正直覚えていません。
2003年。手元に残っているチケットは第42節 VS横浜FC戦 と、第44節 VS大宮アルディージャ戦の2枚。
半券は手元にないけど、9,10月のホームゲームは行ったし、春頃にも確か行ってると思います。
本腰を入れて観はじめたのは、2004年からということになると思います。
今でも大して替わりませんが、当時はサッカーについて戦術や、フォーメーションの違いによって
具体的にどこがどう違うのかとか、詳しいことについてはほとんどわからずで、にわかの上に、無知。
ゲームの内容について、語る言葉を持ちませんでした。
ただ、アルビレックスがすき。2004年は、大好きなチームが晴れてJ1の舞台に上がった、記念すべき年でした。
スタイルは、堅守速攻。引いて守ってカウンターねらい。
個のチカラでは劣ると言われながら、徹底して鍛えたフィジカルで後半戦に相手チームの足が止まり始める頃
まさに目にも止まらぬ速さで速攻を決め、試合に勝ったりもしました。
J1のチームにも堂々と渡り合う姿は、本当に誇らしかったし、悔しそうな表情の相手チームの選手の顔を見るのは、痛快だった。
ワタクシも含めて、まずアルビレックスありきで、スタジアムに通い始めた大勢のサポーターには、あの頃のアルビレックスはとてもわかりやすかったのだと思うのです。
入れ込みやすいと言ってもいいかもしれません。
ただ、今思うのは、当時はゲームを観ていても、自分トコの選手ばっかり見てた。
どこまで戦えるのか、それしか興味がなくて、相手チームがどんなチームなのかはどうでもよかった。
それが、今年に入って夏場、連戦が続くと後半になって足が止まる(ように見える)試合が、増えた。
2-1で負けたホームゲーム VS JEF千葉戦、アイカタが初めて、ロスタイムを待たずにスタジアムを後にした。
「走り負けるなんて、ふざけんな。」と言い残して。その時、(マジかよ)と思いながら、
ひとり考えていた。「本当に、走り負けているのか?」 そんなことなのかな。
まあ、確かに夏の頃、ウチって、後半45分でぐぐっと盛り返してくるチームなんじゃなかったっけ。
あのチームカラーはどこへ行ったんだとか思ったものでしたが。
こないだ観た、ホームゲーム大分戦@Jリーグダイジェスト。(珍しく、ちゃんと作動してた)
3-3の引き分けゲームだったけど、ウチが取った3点は、どれも素晴らしかった。
ボールも、ヒトも動く。1人2人ではなく、3人目4人目が次々にゴールに向かってなだれ込む。
何人もがボールに触る。相手がチャージに来る一歩手前で、パスが出る。
守勢にまわると、すぐにプレスに行きボールを奪う。攻勢に出る、の繰り返し。
その運動量は、“引いて守ってカウンター”の頃のサッカーの比ではありませんでした。
これは、はっきりと見てとれました。 それに気づいた時、目指そうとしているサッカーが、明らかに変わったんだと思いました。同時に、相手の強さというかすごさがわかるようになった。
後半に入ってからの、C大阪と鹿島。この2つのチーム、今までは正直微妙。と思ってたけど、
ニシザワすげーわ、鹿島上手だわと実感(おせーよ)。
何と言ってもニワカですので、自分で実感して進むしかない。
今まで勝てなかったチームに勝つことが出来たり、相性がいいとされたチームに勝てなかったり。
でもさ、相性とかいうためには、もっとJ1に居続けて、10試合以上試合してから言い出すもんだと思ってます。
目指したいものを手の中にしっかりと持ち続けて、それをカタチに出来た部分と、うまく現せなかった部分と。
入れ込みやすかった時と比べて、なんか物足りないと、思うのかな。それは自分の想像でしかないけど。
ワタクシは、今年はとても面白かった。ダメなところもホントにたくさんあるけど
楽しみなところ、これからまだまだよくなるよねと思えるところ、思える選手がたくさんいる。
スタジアムに行って体感しなければわからないたくさんの楽しみに、来年もまた、会いに行こう。
タイトルが、ふさわしいかどうか、自分でもよくわからないけど。
*私事ですが、23日の夜、天皇杯の録画を観ている最中、アイカタのばーちゃんが亡くなったという知らせが
入りました。そのまますぐに出かけ、24日はお通夜、今日25日は告別式でした。
24日のエントリは、23日に帰ってきて書いているうちに日付が変わったものです。
お盆の時に一度お会いしただけですが、おしゃべり好きの、かわいいばーちゃんでした。
ありがと、ばーちゃん。